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熟議寄稿文

 熟議に関わる寄稿文を掲載します。

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「選挙民」を保護して下さい


今井 俊介

元裁判官、現弁護士

元兵庫大学教授


 今年は、選挙権年齢が18歳にまで引き下げられたこと、7月には参議院議員選挙、8月には東京都知事選挙、秋にはアメリカ大統領選挙と選挙の話題が絶えない。選挙権を行使することは民主主義の第1条件であるが、選挙の毎に投票数が公表されその低調さが指摘されてきた。特に地方選挙において数年間にわたるその地方の代表者が投票権者の半数若しくはそれ以下の人の投票で決められるというのでは、これが民主主義かと疑わしくなる。選挙民の良識と奮起に待つほかない。
 一方自分自身で投票に行ったものの、選挙管理委員会のミスのため投票が出来なかったあるいは票が無効になったという報道に接すると胸が痛くなる。その責任につきあまり論じられていない。今回の参院選に関して、朝日新聞の報道によると

◎数地域の選挙区で選挙区と比例代表の投票用紙を間違えて渡したため計百数十票の投票が無効となった
◎兵庫県の某市で投票所を管理する課長が寝坊し、投票開始が遅れ、待っていた25人ほどの有権者のうち7、8人が帰ったとみられる
◎某市の小学校の投票所で入場整理券のバーコードを読み取るパソコン3台がすべて故障し,午後6時半ころ市選管に報告があったがこの際トラブル解消を待つ有権者の列ができ、男性の長男(18歳)―高校生―は職員から「システム復旧のめどがたたない」 と言われたため投票せずに帰宅した
◎その他期日前投票を済ませた有権者に再度投票用紙を交付したため二重投票がなされた
等驚くべき事態が相次いだ。
 僅かな誤数など結果に影響を及ぼさない、とたかを食っているのであろうか?しかし数票差で当落が決せられ、同数のため当落決定手続を踏む例は皆無ではない。問題は係員から配布された投票用紙を疑うことなくそれに記入した投票が無効となったという投票者の心情、投票所に赴き、行列してまで投票しようとしたができなかった投票者の心情、これをどうくみとるか?一票を大切にする投票者の心情を軽視すべきではない。投票所に行かなかった人には諸事情があるにせよ、投票しようとして赴いた人を非難すべきではない。特に今年から18歳になっての初めての投票に意気揚々と投票に臨んだであろうこの高校生にこの事態をどう説明するのか?
 『私は・・今年から一票を投じる権利を持つことが出来たのである。・・初めて投票所に足を運び投票用紙を渡された時「自分も日本の一国民として政治に参加している」という大きな喜びと、一票を投じるまでの緊張感と投票者としての責任感のためだろう、渡された投票用紙一枚,鉛筆一本が非常に重く感じられた。投票用紙に書くまで少し迷ってしまったが、私は大切な一票を投じた。・・初めての経験は終わったのだが、後悔が残る部分も少なからずある。・・日頃から様々なメディアに触れておくべきだった・・』
(平成26年7月26日朝日新聞『オピニオン&フォーラム』大学生岡田智美さん19歳の投書)
この高校生から岡田さんの言う「初めての投票に際しての喜び・責任・後悔」の機会を奪ってしまった。その責任は極めて重いというべきである。願わくはこの少年には次の選挙までには今回の悪感情を捨てて気分を立て直して今後の選挙に臨んでほしい。これらの事例に対処する有効な手立ては見あたらないが、憲法上の権利の実現という公営選挙の一翼を担う選管職員の真撃な反省及びこれらの者に対する指導に待つほかない。

付言
最近の問題事例
・3年前の高松選管の白票水増し事件
・今回の参議院選
市選管が比例区の候補者の得票を0と公表 しかし間違いなく投票をしたとする数人がいたとして提訴


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「方丈の庵」を訪ねてみませんか


今井 俊介

元裁判官、現弁護士

元兵庫大学教授


 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつびて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
 今から60年前、高校で「奥の細道」、「徒然草」、「源氏物語」等と並んで学んだ鴨長明の「方丈記」の出だしである。5つの生き地獄(安元の大火、治承の辻風、突然の遷都による人心の荒廃、元暦の大地震、養和の大飢僅と疫病)を経験した長明にはとうてい適わないものの、長明の文体には若いころから親しみを覚えていた。社会を観る鋭い眼力、小気味良い文体・・以来この本を一時たりとも手元から離すことなく、要所要所の文章は空で言えるくらいになっている。
 長明よりも長く生きながらえている自分ではあるが、 (無情)の意味が少しわかりかけてきたように思う。
 長明は下賀茂神社の禰宜の地位に就くべきものであったが、父親が死去し身内の紛争があって身を引き、日野山の奥に仮の庵を作り、1人住まいを始める・・組み立て家具材料は、台車2台であったという。
 「方丈」 とは3メートル四方、今で言う4畳半の間である。その中に経机、その上に法華経経典、壁に阿弥陀仏、普賢菩薩の絵像、寝床(わらびの穂)、琴・琵琶の楽器があり(「起きて半畳、寝て一畳」)、自分ひとりの住処としては何の不足も無く暮らした。
 四季折々の自然環境に恵まれ、遥か遠く下のほうに京の街が臨める。山のふもとに番小屋があり、そこに10歳になる男の子がいて気があって一緒に野山を散策し、食料のための野草を採取したりして童心に返っている。
 自分の命は天に任せ、四季折々の美しい景色を味わって、誰に気を使うことなく文学と音楽の優雅な生活に没頭している。「愁え無きを愉しみとす」・・なんとも優雅である。フリードリッヒ大王の建てたサンスーシ(Sanssouci)宮殿もフランス語で「愁え無き」宮殿という意味である。
 しかし仏は、長明にお前の心は欲望に染まったままだ、何事においても執着心を持ってはならない、と言われる。そうすると「今、この仮住まいの小家を愛するのも罪となるのか?」 どう考えたら良いのだろう。こんな極限的な生活で、自分がそれで良いと言っているのに仏はそれでもなお許されないのか。長明は自問しながら途方に暮れる。自分の舌に返答を任せた。すると舌は自然に動いて「南無阿弥陀仏」という念仏が口から出た。これは仏に対する請い願うことの無い無心の境地から出たものである、と答えている。
 この夏私は京都下賀茂神社に復元された長明の庵を観に出かけた。酷暑の中、静かなたたずまいで、設計文どおり見事に復元されていた。物陰からふっと長明が現われたような気がした。
「長明さん仏のお諭しをどう考えておられるのですか。俗っぽい私に教えてください。」
「・・・・執着心を捨て・-ただひたすら念仏を唱えなさい・・・・・・・・・・・」

(庵は、京阪電鉄「出町柳」駅下車、高野川沿いに北上し、札の森、京都家庭裁判所を過ぎ、広い下賀茂神社境内に入ったすぐ左側の小さな社の境内に復元されている。一度是非訪ねてください。)

参考
 マグニチュウード7. 4と言われる元暦の大地震について
「そのさま、よのつねならず。山はくずれて、河は埋(うず)み、海は傾(かたぶ)きて、陸地(くがち)をひたせり。土烈(さ)けて、水涌き出で、巌割れて、谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。・・・恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。」
 海が傾いて海水が陸地に迫り、浸したという「つなみ」の描写・・当時-いまから800年前ーの人としてはあまりにもクールでリアルです。
 地震の恐ろしさをこれほど鮮明に伝える文章に接した事がありません。


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