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2017.12.20

鳥瞰虫瞰 (18)―沖縄科学技術大学院大学訪問記―OISTの光と影

有本 章(HU高等教育研究センター長)

12月13日、琉球大学を訪問して、調査の協力をいただいて現在研究中の「学士課程教育の質保証」のお礼かたがた中間報告を行う機会があった。弊センターからは有本章、黄文哲が出席し、琉球大学からは狩俣繁久教授、石川隆士学長補佐・教授、岡崎威生准教授、天野智水准教授が出席された。調査を量的に分析して得られる疑問を直接大学の関係者に質問して行き届いた的確な回答を得られたことは、有意義な訪問であったので、この報告は別の機会に行いたい。今回のテーマは同じ沖縄にある別の機関を対象にしている。

 実は、翌日の12月14日、北部の恩納村に所在する沖縄科学技術大学院大学(OIST: Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University)を訪問した。通称OISTと呼ばれる大学院大学は、一度訪問したいとかねがね密かに思っていたが、今回、琉球大学准教授の天野智水氏と職員の蔭久孝政氏のご高配を得て実現した。午前10時半から僅か1時間少々のインタビューであった。出席は、OIST側から坂田英樹シニア・マネージャー、照屋智彦マネージャー・セクションリーダー、幸喜仁大学評価・調整スペシャリスト、弊センターから有本、黄、琉球大学から天野、蔭久の両氏であった。詳細な報告を頂戴したこともあり、見るもの聞くものが刺激的であった。楽しい一日となった。

 OIST訪問の印象は率直に言って、想像以上に鮮烈なものであり、ある意味で衝撃を受けたのは確かである。本稿は、折角の機会を活かしてその世界に誇る光の部分に焦点を合わせると同時に、自分なりに受け止めた影の部分にも若干分析を試みてみたい。

光の部分

大学院大学の目的は「沖縄において国際的に卓越した科学技術に関する教育研究を行うことにより、世界の科学技術の発展に寄与し、さらに沖縄の振興及び自立的発展に寄与する」というものである(頂戴したパンフレットに依拠、以下同様)。この表現に示される通り、科学技術の国際水準と沖縄振興の両方に目配りした、日本を代表する研究と大学院教育の要衝であるとの自負が横溢している。そのことは「5年博士課程を提供する私立研究大学」であるとの表現にも結実されている。私立大学とはいえ、政府からの助成によって運営されており、相当の巨額が投資されていることは建物の威容、教員の陣容、学生の出身国、最先端の施設、設備、機器などを瞥見すればたちどころに理解できる。

 立地条件は、大海原を眼下にした亜熱帯の豊かな森に囲まれた丘陵に広がる風光明媚な環境の下にあり、雄大な解放感が漂っていた。キャンパス訪問の門戸開放を政策にしていることもあって、これが観光地ではなく大学なのかと見紛うほど修学旅行生をはじめ内外からの訪問客で賑わっていた。丘陵に聳える、研究、教育、教員宿舎、学生寮、学長宿舎、幼稚園といった建物は規模、色彩、機能性に富み、一見して世界級のたたずまいであるとわかるほど素晴らしい。現在3つの研究棟の建物がすでに完成して点在している中で、第4研究棟が建設の最中であった。これらの建物を外から眺めても内部を観察しても、立派な施設、設備、機器を擁した最先端の建物であるのに瞠目せざるを得なかった。

 小高い丘の一番上の部分に学長の豪奢な宿舎が聳えるように幅広く立ち、これが学長専用の建物かと驚かされたし、学長の給料がX千万円と仄聞して仰天した次第である。ノーベル賞受賞者に白羽の矢を立て迎えた学長は言うに及ばず、外国のトップクラスの人材を招聘して構成されている教員の給料は我々から見ると、月とスッポンの違いであり、高値の花であるというほかなく、政府助成、民間からの補助金などを豊富に得なければ到底賄えないと想像した。

 大学院大学構想が提唱されたのは尾身幸次氏(国務大臣沖縄及び北方対策・科学技術政策担当)によって2001年であったが、2005年に(独)沖縄科学技術研究基盤機構が発足し、設立は提唱から10年後の2011年であり、2012年に博士課程プログラム開始、第1期生が入学した。本年度2017年は最初の卒業生を輩出する年度となる。第1期生の就業先に関する結果は程なく事実が明らかになると想定されるが、大学院教育の世界的成果が今後いかなる動静を描くかを占う上でも貴重な結果となるはずである。

・建物、陣容、学生出身国、予算、国際性などトップクラス

建物、給料などのモノ的側面だけではなく、ヒト的側面にも驚かされることが多い。例えば、2017年6月現在、18人の理事を数える学園理事の陣容を見ると、そのうち外国人11人、日本人7人となっていて、外国人比率は61.1%と過半数を超えている。外国人7人のうち4人はノーベル賞受賞者(台湾中央研究院名誉院長、ドイツ電子戦クロトン研究所名誉所長、ロックフェラー大学名誉学長、MIT教授、コレージュ・フランス高等師範学校教授)である。女性比率は22.2%。

 外国人比率が多く、「教員、研究員、学生の半数以上が外国人」である。教員(教授、准教授)は59人、そのうち外国人37人、日本人22人となっていて、外国人比率は62.7%にのぼる。研究員430人、そのうち外国人232人、日本人198人であり、外国人比率は、54.0%と半数を超えている。ただ、事務スタッフ296人のうち外国人47人、日本人249人であるから外国人比率は15.9%と多くはない。事務職員はまだ日本人が優勢だが、教員や研究員は外国人が優勢であることが一目瞭然である。学生数は設立6年間で総数169人を数え、そのうち外国人141人、日本人28人であるから、外国人比率は83.4%と極めて多い。

 建物の外部よりも長いトンネルのような廊下を通り抜けて内部の環境、施設、設備、そしてその機能を観察すると、誰しも日本の大学とは異なる印象を受けざるを得ないのではないか。聞くところによると、名前は忘れたが一流の建築家が設計して建てたようであるが、モデル的には米国流の印象を与えるし、実際に基本的には米国の名門スタンフォード大学をモデルにしていて、随所にアメリカ流のコンセプトが使用されていると拝見した。この外国のコンセプトを直接もしくは翻訳して移植する方式は、別にOISTのみの新しい慣行ではなく、古くから馴染み深い慣行である。つまり日本の近代大学創設の明治初期の時点から、英、仏、独、米、蘭など欧米先進国の最先端の大学モデルを拝借するやり方を踏襲してきたのであるから、今更驚くにはあたらない。100年以上経た現在でも、そのやり方を踏襲しているところに、翻訳文化日本の本領が発揮されているのかもしれない。問題は、こうした欧米先進モデルの日本への移植方式が明治以来のやり方の再現だとしても、成功する保証は必ずしもあるとはいえないことであり、その意味ではモデルの本質に即した今後の成果が注目に値すると言うほかない。

・学際的、学融的な取組は革新的

モデルの本質と関わるコンセプトとして注目すべきは、学際的研究を重視する観点であるのではないかと考えられる。説明に曰く。「学部の壁の無い組織(単一の研究科・専攻)」が特色であり、「分野の垣根を超えたオフィス及び研究室の配置―研究者間の交流を促進」が重点目標に設定されている。「壁の無い組織」という理想の大学を構築するには、人を蛸壺の中に入れて孤立させるのではなく、人を交わるように仕向ける装置が欠かせないし、「研究者間の交流を促進する」と同時に、「研究機器・設備の共同利用を促進して全研究員が自由に研究機器・設備を利用する」ように計画されているのである。

 建物の中に入って説明を聞くと、教員、研究員、院生の誰でも研究室と機器との間を自由に行き来し、新しい装置に接触できることが分かる。自分たちの院生室で学修している院生も、その点では教員や研究員と同じであり、専攻分野に限らず広く相互交流も活発に行われている様子であった。理系の学部では、同じ研究グループが閉鎖的集団をつくってチームごとの共同研究を行う傾向が見られるが、ここではそのような傾向を意図的に打破した施設、空間、機能を構築する努力をしていると見受けられた。

 実際、「教育・研究分野についての学際的な教育研究を目指す」ことを主眼として、5分野を1研究科に集約している事実が、他の大学院には見られない特徴となっている。5分野とは、「神経科学、分子・細胞・発生生物学、数学・計算科学、環境生態学、物理学・化学」である。かかるダイナミックな学術機関が求めているのは、「自立的思考・活動を推進すること」であり、実際には、「全ての教員が独立して研究ユニットを率いること」をはじめ、「若手教員が活躍できる環境を重視すること」、「厳格な採用基準及びテニュア獲得基準を設置していること」などに所期の目的が日々追求されている実態があると言えよう。

 研究組織では教授と准教授がトップで研究を牽引し、その下の直属組織はフラットな人間関係の体制を敷いている結果として、若手研究員が予算の分捕り合戦を含め競争的に活躍しているようである。

 研究から大学院教育に目を転じてみると、「大学院教育の新たな挑戦」というスローガンが注目を集めるのではあるまいか。「指導教官のもと個人に合わせたプログラムを提供すること」と同時に、「強い専門分野を学際的な知識で強化すること」が重視されている。具体的には、次の4点が重点項目である。すなわち「最初の3学期では、3名(分野)の異なる教授/専門をローテーションにすること」、「学生は専門分野以外のコースも選択すること」、「1つの研究科/専攻でもって学際的教育を強く推進すること」、「最先端の多様な研究器械を自由に使用可能にすること」である。教育に関するこのコンセプトと環境の整備は、おそらく世界に先駆けて模索されているOISTモデルと言ってよいのではあるまいか、という印象を付与された。

 筆者は、もともとヴィルフェルム・フンボルトが導入した近代大学モデルであるところの「R-T-Sネクサス」(研究・教育・学修の統合)を提唱している(有本、2016b)。世界中で研究志向は強い反面、こうしたネクサスの実現は、米国ではやや例外的であるとしても、日本をはじめ多くの国での進捗状態は芳しくなく、実現からほど遠い。しかし革新的な教育研究体制に関して今回実地に見学して得た印象からは、このネクサスがすでに部分的には着手されていて、今後実質的に展開される可能性が強いとの判断を抱くことができた。その点、ネクサスの世界的な先駆けとなるよう今後の発展的展開を楽しみにしたい。

 新学期は、国際仕様の9月からスタートする。その点でも、4月からスタートする大学が多い日本の中では、外国の大学という印象を拭えない。2017年9月から第6期生が入学したが、第1期生から第6期生までの学生総数は、上記のように、169人である。第6期生は37人が入学した。ちなみに、国別入学者数の内訳は、英国6人、日本5人、ドイツ、インド(共に3人)、米国、中国、台湾、カザフスタン、ロシア(共に2人)、エジプト、メキシコ、パキスタン、タイ、オーストラリア、ギリシャ、イタリア、ラトビア、ウクライナ、イラン(共に1人)、となっていることが分かる。日本を含め19カ国の学生が一堂に会して学修している。全体の中でイギリスに次いで2番目に多い日本人の比率はわずかに13.5%と紛れもなく外国人学生と比較すると圧倒的にマイノリティーである。学生全体の専攻分野に占める比率をみると、生命科学(46%)、物理科学(44%)、工学系(10%)と区々であるが、生命科学と物理科学のシェアが支配的である。歴代の学長の専攻分野が順次大きな集団を形成しているようであるから、教育研究体制の構築において学長の影響力がいかに大きいかが想像できる。

 以上に概観したように、特色の一つは沖縄に存在する大学が世界と競争している点に特色が見出されることは明白である。学問的生産性の高い米国流、特にスタンフォード大学のモデルを移植して、発展している点に日本の固有の大学院とは異なる特色が発揮されているし、今後の発展に強い期待がかけられていることを察知できた。実際、スタンフォードは、カリフォルニア工科、ハーバード、オックスフォード、MIT、プリンストン、ケンブリッジ、UCB、シカゴ、インペリアル・カレッジ・ロンドン、イェール、といった大学と伍して、世界トップレベルの大学である。日本の国立大学が苦戦する中で、これら世界水準に到達することを目標とする限り、計画に依拠すると決して夢ではなかろうと思われると同時に、これらの世界水準の大学が長い歴史を経て悪戦苦闘の末に現在の地位に到達したことを鑑みると、そう簡単に夢が実現するとは言えないことも確かであろう(有本、2016a)。

 もう一つの特色は、「沖縄の自立的発展への貢献に向けた計画」が模索されている点に見出されると言ってよかろう。その点を強調する特徴としてパンフレットの説明では3点を指摘している。

 その1。「技術開発イノベーションセンターを沖縄の自立的発展を目指して設置していること」。そして、当該イノベーションセンターは、特許申請、技術移転、産業界との連携及び起業家精神の促進について所管していること(ベンチャー企業を設立)が追求されている。

 その2。「沖縄で大変積極的に教育・文化アウトリーチ・プログラムを展開するためにキャンパスを一般に開放し、来訪者を歓迎していること(この12か月で4万人以上が来訪)」。

 その3。「地域に開かれた大学を目指して文化イベント:コンサート・展示会が開催されていること、教育プログラムとして、こども科学教室、オープンキャンパス、研究員による地元中学校での出前講演、などが開催されていること」。

 このような目を見張る活動は、日本の大学の中でOISTがきわめて特異な存在であり、今後の無限の発展が十分に秘められている実態が現状において遺憾なく発揮され、証明されていることを物語るなにものでもないと言えよう。

影の部分

かかる現実を見聞して、将来が約束されている事実を否定する証拠は何もないと言っても過言ではない。2015年に出された外部評価委員会の査定では、卓越性を測る8項目を提示した。すなわち、「物理的キャンパスのインフラ整備」、「管理運営体制及びプロセス」、「学術プログラム及び教員の採用」、「博士課程」、「機器」、「研究成果に達するまでの過程」、「技術移転」、「福利厚生、社会的・文化的支援プログラム」である(外部評価委員会、2015)。その結果、多少甘いようにもみえるが、総じて高い評価を行っていることが分かる。

 とはいえ、せっかく訪問して、貴重な情報を提供していただき、質問にも懇切丁寧に回答していただいたのを無にすることはできない。少なくとも万分の一でもご恩に報いるには、貴重な質疑応答の時間に質問したことも含め、この機会を拝借して、多少疑問だと考えたことなどを印象的に少しばかり記述しておきたいと思う。

 第1は、外観からしても、さらに内部のハード面の建築や環境、ソフト面のコンセプトや機能などからしても、日本の大学とは思えない強烈なインパクトを与える大学である。その点、日本の中に所在するところの「外国の大学」、少なくとも「外国的大学」という印象は拭えないのではないか。職員は別として、教員、研究員、学生などの人的側面では総じて外国人比率が高いのはそれを裏書きしている。従来からの日本の大学は、自校出身者で教員組織を固めるインブリーディング(自系繁殖、学閥)が顕著に存在するので、それを打破するアウトブリーディングの成果は評価できる。ただ、女性比率は理事22%、教員19%、学生35%と日本の大学並みであるから、多くはない。国際性、学際性、アウトブリーディング性を主張するのであれば、物足りない数字であろう。

 それはともあれ、日本の大学の外国人学生比率はせいぜい20%程度以内に低迷していることに鑑みれば、83%もの多くの外国人学生に門戸を開放している事実は仰天するほど革新的である。しかし同時に突出して異常に多い比率に驚かされる。そのことをセールス・ポイントにしている大学であるらしいから、ことさら驚く必要はないのであろうが、やはり驚かされる。なぜそこまでする必要があるのか疑問なしとしない、という論調があっても不思議ではあるまい。なぜならば、私立大学とはいえ、日本政府からの助成が莫大な割合を占めている以上、結果的に日本人学生を排除して外国人学生を優遇する政策によって、果たして巨額の国税に見合うだけのアウトプットがあるのか疑問なしとしないからである。恐らく沖縄に所在しても、県内からの入学者はほとんど皆無ではないであろうか。1876年に設立された米国最初の大学院大学のジョンズ・ホプキンズ大学は、全国の学生が入学しても地元の学生が入学できないため、地元から猛反発を受けて、地元を意識した学部レベルを付加した事実がある。沖縄では地元からの反発はないのであろうか。

 国際性、学際性、アウトブリーディング性を主張するのであれば、煎じ詰めれば「学問的生産性」が上がっているかがOISTの真価を決めるカギであろう。その意味では教育、研究、サービスの生産性でもって学問的生産性を吟味する必要があろう。まず「教育生産性」はどうであろうか。今年度最初に卒業生を輩出するので、いまだその実績は見えないし、それと連動する教育効果も見えないので、それを云々するのは時期尚早であるかもしれない。とすると、実績は「研究生産性」とか「サービス生産性」を見るしかないに等しい。サービスは特に恩納村を中心とした沖縄県への貢献である(前出の3点を参照のこと)。

 果たして、莫大な国税投資に見合う学問的生産性が上がっているかは、検証してみなければならない。莫大な投資によって、ノーベル賞受賞者4人をはじめ世界中から多くの優れた教員や研究者が任用されている事実は明白であるとしても、その投資結果が「研究生産性」のアウトプットに結びついているか否かは別の問題である。とかく、論文生産性が高い国立大学を基軸とした著名大学において、「ネイチャー」誌や「サイエンス」誌での論文掲載や論文引用などの研究生産性が高まるのは、巨額の国税が投入されていることと関係が深い。実際、これらの大学の国際著名誌発表論文数や引用論文数の1篇当たりの費用は、中小規模大学のそれに比較して、きわめて高くついていることを証明した研究もあるほどである。この種の検証に耐えうるのでなければ、巨額予算投資はドブにカネを捨てるようなものであると言われかねない。

 2015年に実施された外部評価委員会の査定は、上述した卓越性を測る8項目の評価を基準にして、「OISTは、2014-2015年のThe Times Higher Education又はAcademic Ranking of World Universities(世界大学学術ランキング)で最も高い評価を受けているトップ25大学と肩を並べている。」と称賛している。研究生産性がロンドンタイムズの国際ランキングの上位25位に入るとの指摘は、戦前から100年以上にわたって国家資金を集中的に投資されてきたにもかかわらず、40位以下にランクされている東大や京大を遥かに超えていると言っているのと等しいだろう。僅か10年でそれらを超えたのである。もしそうであるならば、100年以上にわたり政府が国税を集中的に投資した国立大学の実力はわずか10年で越えられるほど脆弱なものだったのか、という疑問が生じるだろう。確かに、これら国立大学は教員のインブリーディング率が80%程度を持続してきた閉鎖性の点に起因して国際性に乏しく、学問的生産性が阻害されて来たという限界があることを縷々指摘してきた(有本、1981、2016b)。その点で一方が急成長し、他方が伸び悩む原因の一端があるとしても、政府が国立大学法人の「運営費交付金」を減少させる傍ら、後述するように今後10年間に現状の2倍の投資を必要とするOISTに肩入れするのは、早計に過ぎるであろう。

 こうした点を論証するための証拠は提出されていないので、詳しい実態は不詳であるのに加え、現状では他に実証すべき手持ちの資料が無いので、そのことの信憑性の検証は別の機会に譲らなければならない。もちろんOISTが巨額投資に見合う実績を上げていないという確たる証拠は過去10年間では特に無いから、そうならないように今後の活躍が期待される。

 第2に、研究生産性を上げるために、米国流のモデルを移植して、学際的、学融的な取組を模索している点に、ユニークさと特色が見られる点には異論があるまい。と同時にその種の外国モデルの移植には果たして陥穽はないか、という疑問が生じるだろう。日本の大学が戦前以来、閉鎖的な制度、組織、集団を形成して、学問の発展を追求した結果、研究生産性の発展を阻害してきた歴史を想起すると、こうした閉鎖的文化や風土の壁を解体し、風穴を開ける試みは未曾有のことであるに違いない。その点で、学部の壁を取り払い、1研究科に集約し、5つの分野を融合した学際的な教育研究をめざすことは、研究大学も含め約800近い日本の大学の中では斬新かつ革新的と言えるかもしれないし、その結果、例えばノーベル賞受賞者が多数輩出されれば、その革新性はものの見事に成功したことの証左となる。

 しかし同時に、日本の大学は戦前以来、踏襲した講座制が2007年まで104年間持続した結果、最近までアジアでは理系分野での断トツトップの22人のノーベル賞輩出に成功した実績がある(有本、2017)。学部ごとの仕切りを持つ講座制の組織はそれを排除する学際型の組織の対極に位置する組織であるから、その中で多くの受賞者を輩出したのは、一体全体なぜであろうか。ある意味では日本の風土に見合うのではないか、と考えてみる必要があろう。確かに学問の伝統を保護し伝承するのに優れた講座制と、新しい学問の導入に自由に取り組む組織である学際型、あるいは学科制では、新時代の学問発展に優れている点で後者に軍配が上がるに違いないから、日本の大学に先駆けてその方向を模索していることは時宜に叶っているかもしれない。

 日本人の研究者に講座制の組織や風土が適していたのであるならば、OISTの組織や風土は日本人研究者にとっては、必ずしも学問の発展を導かないという仮説が成り立つかもしれない。その点、外国人比率の多い組織は、すでに疑似日本組織であっても日本に存在する外国人型組織であることを証明しているから、このような仮説では説明できないであろう。その点では、今後の実績がどのようになるかは、興味深いと言えるだろう。

 第3に、第2では研究生産性に焦点を合わせて論じたが、それと関連するが、教育生産性に関しては問題がないかに関する印象を少し述べたい。博士課程の卒業生を本年度に初めて輩出するから、いまだ実績の証明は定かではない。これだけ多額の投資と優れた環境を整備した以上、当然ながらそれに見合う人材が輩出されるのが予定調和の論理であろう。その点には何ら異論はないし、ましてやそのように事が運ばなければ、これまでの計画はたちまち水泡に帰すしかない。

 問題は、米国流の学部の壁を排除して単一研究科の中で学際的な研究と教育を一体的に遂行するモデルの導入が、日本の大学の従来の文化や風土とは異なる点である。それは光と影の両面をそなえている。この外国的な大学の中に占める日本人学生の比率は少なく、実態的にはマイノリティーというほかない状況を呈している。これは日本に居ながら米国の大学に留学していると言っても過言ではあるまい。日本人学生が米国の大学に入学すると社会化に挫折する場合が少なくないのは、言葉の壁があるばかりではなく、幼児期から「個人主義」の強い競争的環境と「間人主義」の強い協同的環境の中で社会化を遂げた相違を反映していると思われる。その点、前者の傾向を持つ外国人学生は日本的でない日本の大学に適応する確率が高いのに対して、日本人学生は適応する確率が少ないのではないか。

 「強力な中核専門分野を学際的専門分野で強化する」として、「1つの研究科・専攻でもって学際的な教育を強く推進する」のである。この目的に合う学生を選考する入試は、推薦で絞られた候補35人全員を5人の教員が一人ひとり3日間をかけて英語で面接し、学際型に見合うか否かを徹底的に精査する。日本の大学院ではこれほど面接に時間をかけないのではないか。このことを踏まえると、入試の時、クオータ制を敷いていない限り、日本人学生が僅か5人と外国人学生に比して圧倒的に少ないのは、この種の日本離れの選抜の力学が左右し、淘汰された結果、日本人学生が入学できないのではないか。日本人学生は外国、特に米国で定着しているアクティブラーニング(AL)の洗礼を受けていないから、なおさらである。もしそうならば、よしんば入学した学生も外国人学生に伍して博士課程を卒業するのは至難であろうと予想されるはずである。外国人的環境の中で委縮し、去勢されかねないからである。仄聞ではすでに博士課程前期から後期へと進むための基準をクリアできず悩む日本人学生も出ているようである。その点の信憑性に関しては現時点では仮説の域を出ないので、今後輩出する卒業生の実績や入学後5年間に辿った個々人の教育過程の実績を基に検証する必要がある。

 第4に、今後10年間の見通しに関して、過去10年間のように政府等からの投資が順調に持続するのかどうか疑問なしとしない。外部評価委員会は「2020年代半ばまでに種々の研究分野のバランスがとれた約100の傑出した研究ユニット及び数百名の学生規模の大学院を目指すという拡張計画を支持する」としている。その査定では、現在の規模の2倍に拡張することが想定され、推奨され、そのためには毎年10%の増額が必要であるとみなされている。国立大学法人が毎年1%減額を余儀なくされている時期に惜しみなく10%増額されるのである。同委員会も多少心配しているが、果たしてそれに必要な潤沢な資金が集められるのであろうか疑問視するのは不自然ではあるまい。

 というのは、同じ沖縄所在の琉球大学は7つの学部を擁する国立総合大学であり、2004年以来運営費交付金が毎年1%減少する中で現在の運営費交付金は290億円前後ではないかと推定されるからである。OISTの予算はおそらくそれと同等か、もしくはその前後の規模であると推定すれば、琉球大学を差し置いて今後2倍の規模に増額させるのは難問ではないか。少なくとも明治時代以来100年以上実績を積んできた東大、京大など老舗のトップクラスの国立大学に近似するまで増額するのは無理ではないか。国立大学の予算が減少し疲弊を続ける中で、100年以上投資して成長を図ってきた国立大学を見限って、「選択と集中政策」によって国税を増額して「一点豪華主義」ともいえるほどの投資に踏み切るのは困難と予想されるし、多少誇張して言えば国立大学政策の失敗を意味するからである。

 今後も右肩上がりにハード面が発展し、豊富な資金や環境が整備される限り、計画通り成長発展を遂げる可能性は高いと言えるとしても、その確たる保証があるとは言えない以上、将来の見通しは必ずしも明るいとは言えないであろう。

 ハード面の発展を保証する方法は、上記のように「米国モデル」を媒介とした研究生産性や教育生産性が未曽有の発展を実現することをおいて見出せないであろうから、教育研究と直接関わるソフト面の実績を計画通り、あるいはそれ以上の高さまで極力上げるしかないと考えられる。その意味で10年後が一層好転して、世界水準の大学院大学として名実ともに発展しているかをエビデンス(科学的根拠)でもって検証することを通し、所期の目的の実績を問うことは興味深い。今後10年以内に計画通りに実績が上がらない場合は、税金の無駄使いに終わるのであろうから無論、それは是が非でも回避しなければならない。

 第5に、現在は研究棟が段階的に4棟設置されていることを前提に考えると、すべて理系の専門分野を開拓し、発展させる方向を辿っていることが明白である。専門分野の学際化、融合化を目指す方向を模索するのであるならば、文理融合は重要なコンセプトになるのではないかという疑問が生じてもおかしくあるまい。実際に、インタビュー時に質問したが、今後その方向での計画は全然無いとの明確な回答であった。米国のMITの教授が理事会メンバーであることを踏まえると、MITは文理の専門分野を大学院において両立させ、両者のバランスをとっていることで有名であるし、その長所を発揮して世界的にトップクラスの理系大学として展開している。だが、そのような大学を構想していないようである。

 また、理事には東大総長をされた有馬朗人氏がメンバーの一人であられるが、氏は著名な物理学者にして著名な俳人として知られているのであるから、当然、文理のバランスを誰にも増して主張されるのではないかと推察されるところである。コンセプト的には文理融合は重要であると思われるが、上で指摘した予算増なしには現在の理系分野の将来計画を全うできそうにないのに加え、文理融合の計画を追加すればなおさら全うできそうになくなる恐れが少なくないから、このことを勘案すると、このコンセプトは半永久的に実現しないのではないかと自問自答せざるを得ない次第である。

 以上、本稿ではOISTを訪問して得られた印象をいくつかの角度から記述し、その光と影の部分に焦点を合わせることによって、現時点での功罪を探った。主な論点は、「トップクラスの建物、陣容、学生出身国、予算、国際性」、「学際的、学融的な取組の革新性」、「国税に見合う存在価値の有無」、「日本にある外国の大学という印象」、「投資に見合う学問的生産性(研究生産性、教育生産性、サービス生産性」、「地元の恩納村や沖縄県への貢献と還元」、「20年以内に実績が上がらない場合の対応策」、「理系中心計画の理系・文系統合モデルへの変換」、といった点に置かれた。総じて印象のメモ書き程度の域を出ないので、今後折に触れて論点の検証を行う必要があろう。

 末筆ですが、取材にご協力賜わったOISTの坂田英樹シニア・マネージャーを始め皆様に厚く感謝申し上げる次第である。

参考文献

有本章 (1981)。『大学人の社会学』学文社。

有本章 (2016a)。「世界大学ランキングにおける日本の研究大学の学問的生産性と将来展望」『KSU高等教育研究』第5号、2016年3月、81-96頁。

有本章(2016b)。『大学教育再生とは何か―大学教授職の日米比較』玉川大学出版部。

有本章(2017)。「日本型講座制と学問的生産性の関係」『兵庫高等教育研究』第1号、2017年3月、107-126頁。

外部評価委員会報告(2015)。「沖縄科学技術大学院大学理事会に対する外部評価委員会の報告」2015年7月

OIST(2017)。「OKINAWA INSTTUTE OF SCIENCE AND TECHNOLOGY GRADUATE UNIVERSITY」沖縄科学技術大学院大学、2017 December

OIST写真

OIST正門前写真
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